2017年10月31日

つぶやき そのⅣ

その7:施設のナースを観察してきました
世の中にナースの数は多く、種種さまざま(千差万別)です:施設で働くナースも同様です。
(施設ではナースの資格を持ちながらそれを隠して介護人として勤務しているケースも少なくありません)ナースとして介護人を指導しながら、責任ある仕事に従事することは大変です。医療機関で医師の指示で動くのとは、責任の度合いが違います。訪問看護婦との違いも施設で施設経営者・運営者と介護者との間に入り込む難しさがあります。
 施設では経営が順調なことが大事です:これを熟知する有能なナースも存在します:
手のかかる利用者は出来るだけ排除する(追い出す)これにより介護人が辞めません。 ナースは大事にされ発言力が増します。受診の回数が増えます。勿論、 看取りは大変ですので受け付けません。看取りをしたい医療機関は嫌われ、家族を介して変更されます。
評判の良い施設になるよう、看取りの導入を考慮するナースもいます:介護者の働く喜びにつながると考え一緒に指導しながら看取りに向かうナースです。利用者は満足して寿命を全うし家族は喜んで呉れます。おかげで訪問医療機関の従業員一同も満足できます。この様なナースの存在には医療機関との連携が大事です。
法律上存在が必要なため存在しているナースもいます:介護人に文句が多いようです。
posted by sachi at 14:32| Comment(0) | 忠Dr | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

つぶやき そのⅢ

 その6:施設の最高年齢者の女性が大腿骨骨折で手術に成功リハビリもがんばり、自分のお気に入りの施設に帰れる日も定まり、長年診療で付き合った私どもは勿論従業員一同、その日を楽しみにしていました。尚、入居時から胃がんの存在があり、家族の希望で本人には告知されていませんでした。なぜか退院の報告があった後、腹部エコーの検査がなされ異常が見つかり他の病院へ転院となり、そこで漸次体力が低下して死亡となりました。
 寿命であったと考えたいのです:認知症がないと判断され大いにおしゃれしてやせてはいるが動きまわっていた(そのため骨折につながる?)彼女。帰りたがっていた部屋(彼女にとっては在宅)で最後を看取ってあげたかったというのがケアマネをはじめ関わりのあった皆の思いです(死亡の報告を受け取り残念がり、涙ぐむケアマネの顔)

 入院先への当科からの連絡が不十分であったと反省です:(未告知の胃がんが存在することの強調不足、何か問題あれば施設の主治医の私どもに相談していただき不要な検査を避けてもらう、一日でも早く施設に戻してもらうこと)など。

 施設での看取りについて、施設とかかわりのある医療機関は関心がない:施設のでの主治医の存在にも関心がない。
このことを理解したうえで施設を最後の棲家としたい患者さんを、入院させる場合には添書(情報提供書)にその旨を記載するように配慮したいと反省しながら、つぶやいてみました。
posted by sachi at 16:24| Comment(0) | 忠Dr | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月16日

つぶやき  そのⅡ

その4:看取りを経験すると施設が発展するようです
 施設の従業員は看取りの経験(死亡に立ち会う経験)がない素人ですから、不安感が強いのは当然です。
経営者‘施設長などの代表者が、より良い将来性のある施設になることを望むのであれば、まず看取りの必要性を認め、介入する医療機関と相談し従業員とも話し合うことです。
 實際にグループホームで不安だった看取りを経験し(寿命を迎えた利用者はもちろん、家族の施設への理解、医療機関関係者の関与などがありましたが)、従業員さんたちは自信が出来、その後施設のチームワークがよくなりました。短い期間でも住み慣れた場所で,慣れ親しんだ人たちに見守られて寿命をまっとうしていただくことは、何よりも良かったと感じたことでした(それまでの苦労が報われたと感じたのです)。
 小人数の施設だけでなく、多くの従業員が関与する施設でも看取りを経験してもらうたびごとに、従業員同士の信頼感も出てきて、段々と選ばれる施設へと成長していきます。

その5: 看取りの話をすると、嫌がる施設があります:看取りをすることは経済的には当初の特養の場面でも検討しましたように不利です。従業員も嫌がり集まらないどころか、辞めることもあります。 経営が第一なのは当然です;入居時に看取りの話はなるべく避けられ、もちろん強調されるようなことはありません
 ある施設で医療を担当していく上で家族との話し合いが大事と考え会合を設けました:施設責任者も同席してもらいました:その席上で施設のためにもなると判断し、看取りの話もしたわけです。入居時に最後はどうするのかについて施設と話してはいないようでした。当面の費用、介護、食事などの問題が大きいわけですから、話題は看取りまでたどり着きません。
しかし、私どもの経験不足・配慮不足でした; 面倒な話をしたと施設から嫌われ出入りが止められました。家族の中には話し合いを喜び賛同してくれる方も多かったようですが、つぶやき3で述べたように一旦入居すると移動は困難のようで、家族の希望は受け入れられません。このような私どもの経営にとっては失敗を経験した後も、懲りずにつぶやいています。「看取が施設の判断基準であると」
posted by sachi at 18:21| Comment(0) | 忠Dr | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする